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2022.10.07

金木犀【スタッフブログ 営業:吉野】

櫓
吉野 顕
吉野 顕
スタッフブログ

百日紅がいつの間にか散っていて、夏の終わりを見て見ぬふりをしていたら、夜、不意に金木犀が匂ってきて、うろたえつつ夏の終わりを受け入れることにしました。

あんなに好きだった夏なのに、ここ数年、夏らしいことをあまりしていないことに気づきました。

単に楽しもうとする気持ちが減ったのか、それとも子供が一緒に海に遊びにいってくれなくなったからなのか、あるいはその両方なのかもしれませんが、年々暑さばかりが堪えてきて、これは加齢によるものなのでしょうか。さみしいですね。

今回ご紹介するのは、夏の終わりと加齢にセンチメンタルな心情になっている私にぴったりな【短歌】です。

紹介といってももちろん深くは知りません。ごく浅く、かすった程度です。足首までしか海に入っていないのに「海のことはわかった」と言っているくらいのことです。

百人一首で触れたことがある程度、あるいは学校の勉強で少し...という方が多いのではないでしょうか? 

私もそうでした。

なんのきっかけかは忘れたのですが、現代歌人の穂村弘さんのエッセイ(この人変わってます。おもしろいです)かなにかを手にとったのが短歌との再会でした。

その中で著者本人の歌や同時代の歌人の歌が紹介されていて、私の知っているものと違い、日常の一瞬、その時の心の機微や情景が自由に、堅苦しくない今の言葉で切り取られてい軽く興奮してしまいました。

百人一首で詠まれているものも、その当時から本質的には同じものであったのは今ではわかっているつもりですが、その時の私は今よりももっとずっと無知で馬鹿でのろまでしたので、ずいぶんと新しいものに触れたと感じたのです。

今思い出しましたが、中学生くらいのときに俵万智さんの「サラダ記念日」という本というか歌集が話題になっていて、その時に「この味がいいねと君が言ったから7月6日はサラダ記念日」という歌を見てかるく衝撃をうけた記憶があります。

その当時は野球とサッカーと音楽と女の子のことしか頭になかった無知で馬鹿でのろまな少年でしたし、だらしなくて坊主頭でいつも左手と足が臭かったので、それ以上の興味は持ちませんでした。

それから20数年程たち、30代中盤くらいの時に改めて現代短歌を認識したことになります。

それから熱心に短歌の世界を追っかけているわけではないのですが、なにかの折にふと思い出したりして、またこの世界を覗いてみたりしているのできっと好きなんだと思います。

ということで、なんとなく印象に残っている歌をいくつかご紹介します。

 のぼり坂のペダルを踏みつつ子は叫ぶ「まっすぐ?」、そうだ、どんどんのぼれ  佐佐木幸綱

 サバンナの象のうんこよ聞いてくれだるいせつないこわいさみしい  穂村 弘 

 ほんとうにおれのもんかよ冷蔵庫の卵置き場に落ちる涙は  穂村 弘

 終バスにふたりは眠る紫の<降りますランプ>に取り囲まれて 穂村 弘 

 約束はしたけれどたぶん守れないジャングルジムに降るはるのゆき 穂村 弘 

 電話口でおっ、て言って前みたいにおっ、て言って言って言ってよ  東 直子

 生きるとは死へ向かうこと薄明は部屋を青へと染め上げていく  伊波 真人  

  とぶために四階に来てはつなつの明るいベランダに靴を脱ぐ  工藤 吉男

いかがでしょう?

情景がパッと浮かんでくるものもあれば、よくわからない、わからないけどわかるような気がするもの。

すこしおかしみを感じるものや胸がしめつけられるもの。

感じ方も解釈も人それぞれで違うでしょうし、読んだときの心理状態によっても変わってきそうです。

カサカサになった感受性が刺激され、すこし瑞々しさを取り戻したような気がしてきます。

そしてなにより少し賢くなった気にさせてくれます。

少し興味は持てましたでしょうか?

秋の夜長に少し短歌の世界を覗いてみるというのはいかがでしょう。

裏山の径をのぼりて木犀の香を嗅ぐころぞ秋はれわたる  吉野 顕

ウソ、嘘です。私が作ったものではありません。

斉藤茂吉さんという超有名な方の歌です。すみません。